コラム

13年目を振り返って。パン講師としてのわたし〈前編〉

2022/12/08

こんにちは。吉永麻衣子です。私がどうやってここまで生きてきたのか、なんていうと大袈裟ですがパンを仕事にしてから少し期間が長くなってきたので、少し振り返りを残しておこうと思います。

私がパン教室をスタートするまで

私が最初にパンを作ったのは、おそらく小学生のころ。 母の隣で生地を触らせてもらい焼きあがったパンの香りを覚えています。ウィンナー入りを弟と取り合って食べたのは最高においしかったです。(今思えば過発酵で表面に塗った卵も黄色く固まっていたような気がするけれど…笑 それもいいよね。お母さんありがとう。)

小さいころから母の影響で料理をしたりお菓子を作ったりするのが好きでした。母のレシピを見て、失敗しながら作っていましたが、なぜかパンを自分で生地からこねて作ろうと思ったことはなかったように思います。シュークリームが全く膨らまずに、これはすくって食べる方式のシュークリームだねと家族でボウルからクリームをすくって食べた思い出があります。

私が意識的にパン作りをスタートしたのは入社4年目。社会人になってからです。 当時の彼氏(めでたく今の主人)が仕事でアメリカに行くというので、関西支社に転勤にしてもらい実家から通った2年間がありました。

その時にはじめたのがパン作りでした。

「せっかく家にいる時間があるから、何かはじめたら?」という母からの提案で、ホームメイド協会の体験会に母と参加したのが最初です。 その時焼いたカップに入れたクルミパンは少しこんがりしていたけれど、「自分で焼けるんだ! そしてこんなにおいしいんだ!」と感激。どんどんパン作りの楽しさにのめりこみました

どうしても、もっともっとパン作りが習いたくてネットで調べ通いはじめたパン教室。 ここがなんと運命的に「パン教室を開くためのお教室」で、通っている方は自宅で教室を開講することを目指している方ばかりでした。 それがとても刺激的で。 もしかして私にもパン教室が開けるかも。そして、今アメリカにいる彼氏と結婚できたら彼の生活に合わせて開催できるし、子育てしながらうまく働けるかもしれないと思いました。

そう思ったらワクワクが止まらず、パン作りのこと、教室運営のこと、たくさん勉強しました。そして、結婚を機に会社を退職し、パン教室をスタートしました。

まったく未経験の業界でした。会社を辞める時に「社会に影響のある生き方を」と当時とてもとてもお世話になった役員の方からメッセージを頂いたので、ずっとそれが頭にあり「こうなりたいというイメージ」を持って、逆算をして、今できることをしようと思って動きました。

企業のパン教室立ち上げ、専門学校講師、カフェのキッチン、ケータリング、料理家の先生の撮影アシスタント、フードコーディネーターの勉強などなど、とにかく今できることは全部やる!という気持ちで、目の前にあることにいろいろチャレンジしていました。

今それが糧になり、さらにこれまでの人生経験すべてが、今いる「食」の世界では生きるということを知りました。いろいろ勉強してきたけど、それだけでなく、その横にある「おまけでやっていたこ」とが実はとても大切だったりしているなぁと振り返っています。

スタートしたころにお伝えしていたパン作り

スタートしたころのパン教室by吉永麻衣子

私のパン作りはどんどん変化・進化しています。 当時伝えていたのは、イーストを2パーセント近く入れて、35℃で1時間ほど1次発酵を取る方法でした。 こねるのも15分間必死にこねる方法。

それしか知らなかったし、それしかパンを作る方法はないと思っていました。他にも作り方があるなんて思いもせず、これしかないと思い込んで作っていました・・・。しっかりこねて作ったパンは、ふわふわでとてもおいしいです。油脂の量も結構入れていました。

当時、私は1回のレッスンで2種類のパンをお伝えしていました。

  • ひとつはこねるところからスタート。
  • その合間に1次発酵済みの生地を分割するところからスタートするもの。

発酵時間やベンチタイムにもう一つの生地を触ることができるので、生徒さんは手持無沙汰ではないし、とてもよかったんですが、10時にパン教室をスタートさせるのに、1次発酵を終えたものを準備しようと思うと8時半ごろからなにがなんでも生地をこねなくてはならず、それは結構なストレスでした。 子どもが泣いていようが、とにかくなによりも先に生地をこねなければならなかったのです。

私は当時は「これはこう!」と決めつけて、自分を苦しめていたことが多かったように思います。

  • パン教室は難しいパンをお伝えするほど価値がある
  • パン講師はパン作りについては完璧に理解している
  • パンの作り方は絶対に習った通り

でも、途中で「私は何のためにパンを焼いているのか?」を考えたら、もっと自由でいいのではないか?と思い始め、それに気づけた私は、ずいぶん気持ちが楽になり「パンのある生活」を楽しめていると感じます。さらには講師、レシピ開発者の私もずいぶん楽になりました。

決めつけのかっこつけのわたし、バイバイ!

子育てしながらの働き方の変化

子どもが生まれる前からスタートしていたパン教室。そのころから「子連れOK!」として、お子様連れでお越しいただいていました。ママのパンを食べる子どもたちの笑顔がたまらなくかわいくて、幸せな気持ちになりました

それから私にも子どもが生まれ、パン教室では長男とは共存することができ、パン教室を開催しながらも横で子どもを遊ばせていました。そもそもそうなりたくて、パン教室を開催するという働き方を選んでがむしゃらにやってきた私でした。

「ママが働く」には日程調整もできるし、とても良い働き方だななんて思っていたのですが・・・

なんと!次男は共存ならず・・・。

おもちゃを生徒さんのお子さんに貸しえてあげることができず、悩みました。

「パン教室を開いていること」は私の勝手なこと、子どもをどこかに預けて教室を開くのはそもそも私がパン教室開催を目指したこととは真逆で本末転倒、子どもを叱りながらするのも違うなぁと。

私自身が教室運営を楽しめていなければ、パン作りの楽しさはお伝え出来ないだろうと、生徒さんにお詫びして、自宅でのパン教室をおやすみすることにしました。

ちょうどそのころ、『スティックパン』『ドデカパン』のレシピが完成していました。

その時は本気で悩んでいましたが、振り返ればタイミングとしては良かったのかもしれません。

私は「パン教室はこういうもの!」と決めつけで、「こんな簡単なパンを伝える教室なんて価値がない」と思い込んでいましたし、私の代表的なパンがこの武骨すぎる『スティックパン』や『ドデカパン』になるのも抵抗がありました。なので最初はブログも別に書いていました。

でも、このパンレシピをブログに掲載したところ、たくさんのお問合せがあり、手ごたえがあって、メディアにレシピ提供する仕事に意識的にシフトしていきました。

メディアの仕事はその当時の私にとってはありがたく、昼間は子どもたちと遊ぶことできました。試作は空いている時間に、夜中子どもたちが寝ている間にパソコンに向かってレシピを書けばよかったのです。本の撮影は私の場合4日ほどかけるのですが、まとめての仕事だと実家から母に手伝いに来てもらって見てもらうことができるので、また新たな働き方としてよい形に落ち着きました。

でもそこでひとつ反省したことがあります。

それは、この簡単なレシピを見て教室の生徒さんからの質問が多かったことです。子連れOKのパン教室として開いていたのに、私はデイリーで焼けるパンをお伝えできていなかったんだなということ、そしてこれまでお伝えしていたパン作りがきちんと理解されていなかったのかもしれないということです。

「子どものためにママがパンを焼きたい!」

その気持ちにお応えしたくて、教室を開いていたのに、私のかっこつけのために違っていたのかもと、すっと自分の中に落ちたのが今でも思い出されます。

 

【麻衣子のつぶやき】13年目を振り返って。パン講師としてのわたし〈後編〉へつづく。

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